監督;ガス・ヴァン・サント。
俳優のセリフはほとんど即興とのこと。
監督が映像のインスピレーションを受けたというフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー「High School」「The Store」「Domestic Violence」、ウィリアム・エルグストンの写真も見てみたい。
ウルグアイの映画「WHISKY」と共に借りてきてた映画「Elephant」。
学生は学校と家庭で心落ち着ける場所が見つけられなかったら、いったいどうすればよいのでしょう。
映画の中の高校生達は、とてもみずみずしくて美しいけど、同じくらい痛々しさも感じた。
自分の力で今いる環境以外に行けたとしたら、こんなに楽なことはないけど、高校生にはその自由はない。
せめて自分がいる世界とは別の世界がたくさん存在することに気づいて、いつかは落ち着ける場所に身を置けると思えたらこんなに救われることはないけど、そういう世界があって自分がたどり着けるかもしれない、ということすら普通高校生では解らない。
この映画を見て思い出したのは、大学時代スキューバダイビングの講習を受けに行った時に出会った高校生、それから自転車でどこか遠くに旅に出掛けていた中学時代の同級生。
私が大学時代ダイビング講習を受けにいった時、同じく一人で講習を受けにきている高校生の男の子がいた。少しだけ話した覚えがあるんだけど、どうやら両親がライセンスをもっていて、子供にもライセンスをとらせてよいと思ったようだった。まずは本人の希望のようだったけど。
大人ばかりに交じって(インストラクター以外、知らないヒトばかりである)、しかも泊まりだった。半分宴会状態になっている夕食の焼き肉も違和感なく一緒につついて。講習では、ものおじすることなく、新しい世界の切符を手にできる期待感にあふれていた。こういう世界を高校生の時にすでに知っていたら、学校での生活を見る目が違うだろうなあと、正直羨ましく思ったのだった。
中学生の同級生は、休みに自転車でどこか遠くに行く計画を練っているのを、話してくれた。中学生の男の子が自転車で行ける距離ってどのくらいなんだろう?寝袋もって、1泊くらいで。その話を聞いて、そういうことを思いついて、実行に移せる同級生をすごく羨ましく思った。男の子はいいなあ、とも。本当は男の子、女の子は関係ないのだけど。この子はクラスでもちょっと変っていて、何かいつも誰にも寄りかかりすぎること無く自由にしてる感じの子だったなあ。
彼らのように、学校と家庭以外で、自分が身を置いてよいと思える場所の存在を少しでも実感できたら、「elephant」のような事態は避けられたんじゃないだろうか。その場所の存在を自分のものとして実感できていたら。(余談だけどゆとり教育がそういう方向に発展できたらよかったのに、などとニュースを聞きながら思った。)
もう少し話を広げると、これって自由だと思われる大人だって、本当は当てはまるのかもしれない。
自分のいる環境は世界のほんの一部でしかない。価値観も含めて。
今の場所とは別の世界の存在を実感する方法のひとつとして、旅という手段は有効だと思う。
(って言ったら、ちょっとまとめ過ぎ?)
ちなみに「Elephant」の高校生と同じように学校を窮屈に感じていた私の避難場所は受験のために通っていた美術の先生のアトリエ。そこは先生と教室の生徒が絵を描く為だけに用意された1軒家で、私のような受験コースの高校生も出入り自由。
終電まで同じ受験コースの他高校の子達とデッサンしたり、超テキトーなご飯作って食べたり。学校と違う空気を吸えるというだけで、嬉しかったなあ。
最近のコメント